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| 六甲開祖之碑(明治45年)(神戸新聞総合出版センター蔵) |
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開港後、まもなく来神した英国人貿易商であるA・H・グルーム氏は、1895(明治28)年、六甲山上に和洋折衷の別荘を建てました。ある週末、グルーム氏と友人たちとの間で「なつかしい母国を思い出して、ゴルフでもやってみようか」ということになり、1903(明治36)年にわが国初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」を創設。彼のアルバムには、夏はゴルフ、秋には「マッシュルーム・ピクニック」と
呼んだ松茸狩り、冬には登山やスケートを楽しむ様子が残されています。これまでの日本になかったスポーツ・レクリエーションがここ六甲山ではじまり、西欧文化を取り入れた独自のライフスタイルが育まれていったというわけです。グルーム氏の功績を讃えて、1912(明治45)年に建てられた「六甲開祖之碑」は、六甲山への登山者のひとときの憩いの場でもありました。 |
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太閤秀吉によって築かれた大坂城の石垣は、近郊の御影、芦屋、生駒などから採石したと推測
されています。その後、徳川幕府による再築事業においても六甲花崗岩(御影石)が多く用いられました。一般的に御影石は耐久性が高く、表面のツヤが褪せにくいことから、外壁や石垣、敷石などに好まれて使われます。御影石は色調によって、白御影、赤御影、桜御影、黒御影などの種類がありますが、中でも桜御影や赤御影は硬度が高く、質がよいとされ、高級品として主に装飾用に使われています。 |
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富豪たちが愛した六甲周辺の風光明媚で健康的な環境は、交通アクセスの充実とともに教育関係者にも注目されました。神戸開港以降、来神した外国人によって「松蔭女学院(現:神戸松蔭女子学院)」、「六甲中学校(現:六甲学院)」などがつぎつぎと開校。1902(明治35)年には、官立高等商業学校「神戸高等商業学校」を開学の起点とする神戸大学が現在の地に開校したのです。
その後、神戸市は1965(昭和40)年、学校や図書館など文教施設の環境保全を目的に、灘区六甲台地区(約411.2
ha)を文教地区に指定。『ジオ グランデ六甲』は、その山手から広がるアカデミックな雰囲気を享受する恵まれた
場所に誕生。徒歩1分の六甲幼稚園をはじめ保育園や幼稚園が徒歩10分圏内、市立六甲小学校は徒歩2分にある
など、安心して通園、通学できる教育環境を備えています。 |
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文教地区は、都市計画法で定める特別用途地区のひとつで、教育や文化活動をする上で、環境悪化につながる施設が規制されます。1965(昭和40)年に神戸市が指定した文教地区は、「灘区六甲台地区」、「東灘区本山地区」、そして「垂水区星陵台地区」の3カ所のみです。
以降、神戸市において文教地区に指定されたところはなく、稀少な住環境を有しているといえます。神戸市が定める「神戸市民の住環境等をまもりそだてる条例」の第18条によると、『文教地区内においては、次に掲げる用途に供するための建築物は、建築してはならない。 |
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ただし、市長が文教上必要があると認め、または文教上の目的を害するおそれがないと認めて許可した場合は、この限りではない。』とあります。その建築してはならない主な建築物とは以下のようなものです。
・ナイトクラブ、ダンスホールなど ・ホテル、旅館など ・劇場、映画館、演芸場など ・その他遊技場など
※1ha=10,000u / 約411.2ha=約4,112,000u
(約1,243,880坪) |
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